文京区本駒込の社会と生活と文化

 

2016330

 

本年の桜、文京区・本駒込の動道公園でもそめいよしのは開花して1週間を経過しても、まだまだ5分咲という感じだ。
それにしても今日も寒い。
その中で「幼稚園のままとも」ママたちと幼児だけの30人以上が一緒でグループだけの花見がわいわい行われている。

ほかには花見に来る方が誰もいないなかで、最近の目立つ傾向だ。
昨年春には、ここの隣の公園で町内会単位での50人程度の花見がされていたのを思い出した。

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 2016330

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○荒尾稔 
この番組で一番野驚きは、地元というか足元にある道坂の「tetsu」という「つけ麺専門店」。
いつも20人から30人が並んで、出来てから半年くらいかと思ったら、今になっても列が消えない。

 たかがラーメン、されどラーメンを地で言ったようなお店。しかもここが本店となって、
都内に20件程度のもお店を広げているという話にうかつにも全く存じませんでした。脱帽です。

 知っているのは、お蔭もあってか行きつけの道産子系のもやし味で、毎月数回は通っていたラーメン店を始め、
なじみのラーメン店が何軒か店じまいに追い込まれたらしい。という気持ちもあって、入ったことは一度もない。

 

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2016年5月26日

 

文京区・千駄木にはもう一つの、やや不思議なことと感じることがある。

千駄木駅に隣接した須藤公園を越えて、緩やかな坂を上っていくと、結構立派な家が並んだ場所が続く。

俗に言われる山の手です。しっとりとした中流の家庭の方々の居住区と感じる。
先日もガーデニングのある風景を楽しみながら、まだ訪れたことのない道筋をたどって、散策していましたが、何度も何度も行き止まりに遭遇しました。

元来た道に戻るしかない袋小路。立派な家々と思いながら、抜ける道のない不自然さをすこし感じた。

不忍通りでも、俗に言われるような下町地域では、同様なことは多いが、必ずといっていいほど、
人一人は抜けられる抜け道があって、通りに出られるものという勝手な先入観がある。
が、どうもここはそういう便利さは期待できないようだと感じ取れた。

そういうものかなと自分を納得させている。

そして、文京区での最も地形上高度の高い場所にある狭いけどしっかりと整備された道路に出ると、屈指の住宅地になっている。

そこでは、電信柱は撤去され、幅広いレンガを敷き詰めた歩道とあいまって、景観がまたガラリと変わって、住宅地として素晴らしい存在感を発揮する。
区割りも明確になって、勿論行き止まりの道などは見当たらなくなります。

ファーブル館もこの一角にあります。

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荒尾 稔さんの写真

  

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 ●電線地中化が一般に価値が認められる日本社会になることが私の願いです。ヨーロッパでは普通なのに。

 ●ファーブル館は私の会社の東京営業所が有った場所です。
 館長の奥本大三郎さんはその名前を冠した製粉会社の初代社長の三男坊で同じ敷地に住んで東大に通っていたそうです。
 長男の晋介氏が社長の時私は入社し、大三郎さんと  は私が田端に住んでいたので私がジョギング中で彼が散歩中に時々お会いして挨拶していました。

 会社の株主だったので届け物をしたことがあります。
 彼の書いた『虫の宇宙誌』が読売文学賞を受賞してからの著書は殆ど読んでいます。・・ 奥本大三郎

 奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう、1944年3月6日 - )は、フランス文学者、エッセイスト、大阪芸術大学(学校法人塚本学院)文芸学科教授、埼玉大学名誉教授、
 NPO日本アンリ・ファーブル会理事長、虫の詩人の館(ファーブル昆虫館)館長。 大阪府貝塚市出身。

 

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  2016年5月20日

東京都文京区の根津神社から上野不忍の池の周りまで、不忍通り沿いに、たくさんの露地道が、今でも健在です。
それもバリバリに利用されていて生き生きとした生活の場として、また公共の生活道路としても活用されています。。

まあ、狭すぎて自転車程度しか入り込めない場所も結構あって、それなりに変化に富んでいます。
これからも当分このままの生活環境で、大きく変わることはないと思います。

東京・千代田区・神田界隈の路地は、すでに実質生活の場として壊れてしまっていました。

文京区の不忍通りでも、本駒込地域では、区画整理がきちんとなされてきた、
それゆえに大通りはマンション群に、商店街や住宅地はミニ住宅群が、どんどん入り込んで、改めてコンクリートで囲まれた新興住宅地に変身してしまっています。

それらと比較して、この地区では奥行きが深い露地になっている箇所が散見し、そのために地域の変化が遅々として進まないということもあった。
過去のままの生活スタイルが、そのまま継続されている箇所といえそうです。

それなりに濃厚な生活を、逆に求めての観光客の姿もぽつぽつと観察できる地域でもあります。

本日はお陰様で、素晴らしいガーデニングの現場もあって、楽しいぶらぶら散歩となりました。

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2016年430

 

文京区は武蔵野台地の東端にあって、関東ローム層への豊富な降雨が無数の谷を刻んで出来たものだと考えられる。
茗荷谷や動坂など谷や坂のつく地名が多いことでも知られています。

かつては、森や林と調和を保ちながら、人々が生活を営む「里山」や「谷戸」が連続して緑と水源に恵まれて、豊かな生活が営めた場所であったと思います。

私ども家族は、50年ほど前に千代田区・神田から文京区・本駒込動坂下にある現在のマンションに越してきました。
動坂下から上の大地には、神社やお寺、お屋敷も多く、林もあちこちにありました。
何よりもコジュケイがたくさん棲息していて「チョトコイ、チョットコイ」と聞こえる鳴き声がうるさいくらいでした。

マンションの5Fから富士山が丸々望見でき、空気もまるで違って感じたものです。

50年まで、初春を過ぎると上空には、千代田区・皇居内を繁殖地とするシラサギ類が無数に
ちょうど荒川筋の湿地帯で雛に与える餌を採餌し、その往復で飛び交うルートの真下に動坂下の交差点あたりで
不忍通りを横切る形で、いつも20〜30羽の群れがカギになりサオになって飛んでいる姿が見られたものです。

夕方から暗くなるとシラサギが皇居に戻って、代りにごつい姿のゴイサギに入れ替わり、ギャッという鳴き声は一晩中、夜空からの聞きなれた声でした。

夜、真っ暗になる前の一瞬に大量の鴨の群れが一斉に上空を通過して荒川方向へ向かう様子も、何度か目撃できました。

でも、あれだけいたコジュケイはいつの間にか姿を消し、サギ類ややカモ類などの往来もいつか途絶えました。

まさに、あれだけ豊かに感じられたこの街が、生き物が消えゆく街となりました。

いま、不忍通りは14階建てマンションが通りに沿って壁のごとく連なっています。
いつの間にか屋敷林が消え、ミニ住宅の氾濫で空き地もすっかりなくなり、目に見えて生き物は減っています。
スズメもツバメもどんどん減り、残っているのはカラスとヒヨドリなど雑食性で、ある面攻撃型の野鳥たちばかりが目立ちます。

近在にたくさん見られたアゲハチョウやモンシロチョウ、ヤマトシジミなどの可憐な蝶も、トンボ類もほとんど見ることができない、ある面で無味乾燥な街に変わってきています。

ここも都心部のオフィス街では当然のような全域をコンクリートで固められてしまった住宅街にすでに変わってしまったと理解しています。

そして、ここに住む住人は、じわじわと今様の若い世代に入れ替わりつつあると思います。

私も妻も同様ですが、多くのここにいる老人達は生活環境の変化についていけていないと思っています。
そして、コジュケイやサギ類やカモ類などがたどったと同様にして、気が付いたら環境の変化に住む場所と行き場も失って、だんだん消え去るのみという冷厳な環境に置かれつつあると実感です。

(写真:wikipedlia:コジュケイ )

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 自然を無視しての都市化っていうのは殺伐とした感じがしますね。半世紀前は都内にも自然が散在していたんですね。物質文明だけでは精神的なものは満たされないです。
 今や、なつかし?。

 

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 2016425

文京区本駒込の最近。

自宅のあるマンションから半径500m圏内には、以下の店舗がある。

セブンイレブン、ファミリーマート、100円ローソン、そして大手生協、大手スーパ、食品スーパである肉のはなまさ。
生活用品のユニバーサルなどなど。マンション1Fを全部使って巨大なピザ加工ショップ。ここではピザの作り方の教室も。

ここ数年朝から晩まで1日に数回は、それらの店舗で散歩を兼ねて日用品を当座買いで購入する。
現在、それらの店舗ではJR系のカードで決済を済ませるので、最近は毎日小銭を持ち歩くことはほとんど必要がなくなっている。

学習塾の数も半端ではない。小さな老舗の飲食店は比較的元気だ。ラーメン店は出入りが激しいが10店舗以上。
でも書店、酒屋、豆腐屋、肉屋などはすべて消えた。文具店は残り1店舗。生鮮魚やが1店舗生き残っている。

朝早くから図書館が開き、夜9時まで新聞等も閲覧できる。
新聞の購読は止めている。近所にあった小売り関係の店舗は、ことごとくといってよいほど消えてなくなり、声を掛け合って、時に笑いあってきた顔見知りの方々がいつの間にか消えている。
知っていた方が亡くなってしまっても、最近はかってのような葬儀があるわけでなく、後から事実情報で知るだけ。淡々と日時が過ぎていくという感覚。

500m以内に診療所が3ヶ、歯医者が4ヶ。眼科が1ヶ、後期高齢の年寄りが通って昼間面倒を見てもらっている施設がいくつも。
整体をしてくれる施設があちこちに。

最近の驚きは、しおたれていく気も起らなかった生協が、リニューアル開店。

その驚くべき変身が話題に。デパチカに負けない店舗に。
そして3F部分をほぼ全部が惣菜の加工場に変わって、パン類や日常の食品が、弁当類がまさに新鮮で安くて、とてもおいしいと話題に。
野菜も肉類も店舗で少し時間が経過して売れ残りそうになると、早々と弁当の惣菜に変わるのよという妻の声も、なるほどそういうこともあるのかと相槌をしながら、興味津々。

特にパン類の味が劇的に変わって、本当の味を知ってしまったという感覚。

 

あらゆる面で便利だ。確かに快適な生活環境となっている。
しかし戦争末期から戦後の飢餓の原体験を有している世代の一人として、何かこれでいいのかという漠然を超した不安感。
何となく廻り中を見まわしてしまう感覚に襲われる。

 

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 2016425

 

東京都文京区本駒込。
郊外地や田園、里山に居住の皆様方には想像できないかもしれないが、とうとうここまで都心部の住宅地は様変わりしてしまった。

上野不忍池に通じる不忍通りは、ここ20年ほどで、不忍通りに沿って壁のように13〜14階建ての中層マンションが林立してきた。
すでに飽和状態で新規着工が減ってきている。 
代わりに、マンションには小さすぎる10坪や20坪単位の1軒の土地を、
小さな裏長屋や風呂屋、商店街、そして町工場のすべてを飲み込む形で、びっしりと同じタイプのミニ団地というか、マイクロ団地というかが雪崩のごとく侵入しだしている。
いままで下町の原風景であった、
見慣れてきた生活空間が、ここ5年ほど急速に変わり始めて、今や怒涛のような流れで変化しだしている。

いくら土一升金一升の世界といいながら、ここまでことが進み出すと、何ともはや。

建売の建物の間は、隙間がほとんどなくて、大地震が来てもお互いにもたれあって倒れようがないと思う。
多分窓の部分も小さく、防火対策も強化されているので、地震に対する備えは、それなりに備えられておる。
まさに用語の意味とはちょっと違うが、蟻の這い出る隙もないくらいな建物と例えられるほどだと思う。

土地付き一戸建てを購入したいという願望を満たす価格(マンションとあまり変わらない)と、まもなくと想定される関東大地震の到来を予感しての、安心安全を求めての無意識な選択なのかもしれない。

建築基準法上で許されているのか。地面がすべてコンクリで固められ、ポットの花壇はともかく、いまや地面は雑草の生える余地もほとんどない。
しかも値段がマンション価格とあまり違いがなく、金利は信じがたいほどの低金利だ。

ここ文京区本駒込では、企画段階で、建てる前から予約で売れてしまうということだから、建売やさんは頑張っているのだろう。

勿論これらは木材をほとんど使っていないこともあって、木造住宅には付き物の、シロアリ防除対策にもなる。 

購入者は、若い子供連れの若夫婦が多いと聞いている。

妻に聞くと、この様式のハウスでは、最低3階建ての構造と1階が車庫にスペースを取られるためもあって、
年寄りなどには階段が辛く、また狭い急な階段での踏み外しなどで骨折などの事故にあって歩けなくなった友達が何人もいるという。マンション等でのバリアフリー構造のあり難さを知った老夫婦にはとても怖くて住めないともいう。

若者夫婦のための専用住宅のように感じられる。

ガーデニングは、結局ポット形式での鉢植えをコンクリートの上に、駐車スペースの上に置くような形になってしまうようだ。

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  コメント

●どのようなことになるのか分かりません。としか言いようがない。
○荒尾稔 この周辺のマンションも、ミニ住宅も地価の高さもあって、どう考えても3家族団欒を保証できる仕組みの新築住宅はほとんど見当たらない。
 特にミニ住宅は、ほぼ100%、1Fは老家族が住む部屋が作りやすいが、駐車スペースが優先する構造。
逆に郊外にあるミニ住宅は比較的スペースがあるせいか、2F構造で1Fに和室を設けてあるケースが多いようだ。

  経営不振の商店主たちは、サラリーマンの息子娘に進められることもあってか、一軒屋を売り払って有料の老人施設へ入ってしまうという話が多いと聞いている。
 というか、常識になってしまったというか。


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2015年7月23

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最近、文京区・本駒込4丁目での話題といえば、「こまじいの家」

ここには、老人が毎日とっかえひっかえ訪れて、マージャンや囲碁や将棋を楽しむ場が出来上がってきた。
普通の空き家を、そのまま生かして文京区も助成金を出している。
区長も見学にきたり、最近はNHKでも取り上げられてひとつの地域おこしにもなってきていると思われる。

特に囲碁と将棋と、そしてトランプなどでは小学生などの子供たちも結構一緒に遊んでいるらしい。

たしかに、定年退職した男たちの寄り場が少なくなったこともある。
自然発生的にできてきた仕組みのようであるが、これこそ全国的に広がっていく可能性を感じている。

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 2015年7月23

文京区・本駒込では、毎日毎日特定の場所に人の集まる箇所がいくつかある。
ひとつは保育園や幼稚園。お昼頃お母さん方が一か所に扱って子供たちを下校させる。
すごいには20台ほどの2人乗り、3人乗りの自転車群。
ずらっと並ぶと壮観。全車両がモータ付。ここは坂だらけだから当然といえば、そう。たくましい若い女性群だ。

もう一つは、至る所にできている老人介護関連施設。
大規模というより老人を10人程度しか集めて、昼の時間にお遊びさせる施設。
周辺に何か所もできている。というか。この老人の方々を送迎する最新型の小型バスがひっきりなしに動き回っている。

何とも異様に思えてならない。ものすごい無駄遣いにも思えてしまうのは私だけか。
写真の後半の2枚はそのような施設のひとつで、外部からは何をしているのかよくわからないが、早朝と夕方送迎の小型バスがくる。

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201545

 ・ 

4月4日のTV東京で、司会者がイノッチに変わって第一回を妻と見ていた。
「春うらら露地裏散歩 根津・千駄木」ということで、たまたま地元のお店紹介ということで興味津々で見ていた。

ショック、ここに50年近く住みながら、毎月何度も街中や最近は特に裏道を、路地を選択しながら
、特に根津や千駄木方面はかなり頻繁に、散策してしるつもりでいた。
実際にこのfacebookでも何度かそのあたりを紹介もした。

多くのお店を通り過ぎながら、「知らない、入ったことがない」お店の羅列。
全20ヶ処の紹介でありながら、知っていたり店内に入ってみたり、買い物をしたことのある店は、その1/3に届かないしまつ。

特に最近は、近辺をあちこちと散歩を、裏町を心がけながら歩き回っているはずなのに。どういうことなのか。

分かったのは、

1 道潅山下にある「稲毛屋」のかば焼き

2 根津のたい焼き

3 根津のさつまいも (アイスものか、昭和焼き)

4 千駄木の「肉の腰塚」 でも「コンビーフ」は知らなかった。

 コンビーフの紹介があって、とても新鮮な情報で、一度試し買いを決めた。

 その他、紹介された上位には以下の店が入っていた。

 順次、妻と一緒に散歩の折に、お店を探して覗いてみようと思っている。

 天外天

 根の津

 釜竹

 丁子屋

 はん亭 「串焼き」

 菊見せんべい

 八重垣せんべい

 写真は「稲毛屋」。最近はいつも予約で満員という看板を見る。

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20164月1

 

都内で有数の店舗展開と顧客動員数を誇る食品卸スーパ−の”はなまさ”で、最近魚介類のコーナーで安定的に着実に売り上げを伸ばしている新しい貝類のひとつがある。

千葉県・船橋漁港が中心になってなって漁獲して販売中の”ホンビノス貝”のことです。
ここの漁港の主体な製品のひとつとされるまでに至っているという。

東京湾最奥の干潟である”三番瀬"を中心にして大量に漁獲がされるようになって、都内でも本格的な量販が始まったと思う。

米国等からの外来種でありながら、三番瀬では、秋に生じる酸素がほとんどない水の”青潮”によって、アサリもハマグリ等も壊滅的な打撃を、毎年秋から冬にかけて蒙っている。
そのなかで、この貝だけは生き残れる力を持っているようです。

日本産の"はまぐり"に負けないとてもおいしい貝です。ぜひご賞味ください。

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コメント
○荒尾稔 千葉駅周辺iは、貝類専門の飲み屋が幾つかあって、ハマグリが主役。
 そのお値段がリーズナブルで、うっと思って、その店の店頭に並ぶいけすをのぞいたら、すべてホンビノス貝であった。
 なるほど貝類専門店がはやっている意味も、売れる仕組みの一端も理解できた。

  まさに庶民の味になってきて いると感じている。

 水産関係の仕事をしています。

 外来種であっても食べてあげることが漁業者にとっても、生態系にとっても一番良いと思います。
 その通りだと思います。イノシシやニホンジカ・エゾシカなどもジェビエの名前で全国各地で販売が始まっています。
 食材として安価に普及してくれれば、それが最大のコントロール機能に働きます。。

 

 

 

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 2016年41

 

文京区・本駒込

ソメイヨシノ満開となりました。

はや日当たりのよい箇所では桜吹雪まではいきませんが、どんどん散り始めています。風もない快い気温ですが。

それと同時に、新型の戸建て住宅の建築が満開状態となっています。
改築して日も浅い2Fの店舗付き住宅までが、住民や1Fの商店や小店舗までも追い出して、建つことになってしまいました。

その解体工事も始まります。

 

噂では、この段階で早々と完売になってしまっているということです。
右の土地はかって毎日利用していた銭湯の跡地画4軒に分割されて3F建てとなっています。
これと同じ形式で何軒かに分割され、建売として売りに出されることになるのでしょう。

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 20151224

 

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都内・文京区・動坂下にある大手食品チエーン「はなまさ」での定点調査です。
2015年の夏ごろの価格から対比して、国内産コシヒカリが2,250円から2,550円など、横並びでどれも平均10kg単位の白米価格で300円ほど値段が上がっていました。
12〜14%程度の値上がり率です。

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 20151223

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この時期になると複数個所にスズメのお宿が出現する。

東京・文京区・道潅山の交差点の角。

50m程度離れたところからも車の騒音に負けないスズメの

お宿が出現していた。

午後3時ころで200羽程度。夕方にはもっと増えて500羽程度にまで

膨らむ。

でもこのいちょうの葉がすべて落ちてしまうと、いつの間にか別の箇所に

移動してしまう。秋の一時の風物詩だ。そういえば、この周辺にはこれといえるような大きな樹が見当たらない。
大きな街道筋で道路には車があふれ、マンションが林立している場所だから。

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コメント
 スズメも住宅難ですね。

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 20154月5


これをfacebookにまとめていて気が付いた。
動坂から道潅山下(根津や根岸とは地下鉄で一駅違う)にかけラーメンのお店に関しては、最激戦区の場所であるらしいことだ。
そして複数のラーメンチエーンもここが小さいながら本店となる。発祥の地だ。

「tetsu」のお店の反対側50mも離れていない個所には最近店を開いた「神名備」。
やはりラーメン店で、本日の雨の降っている中、ともに列を作っている。
「tetsu」が若い男性が圧倒的に多いと感じるとは異なり、こちらは若い女性が多いと感じた。

もう一つ、「tetsu」が参入する前には動坂には「大島ラーメン」が頑張っていた。
こちらは良く食べに張った記憶がある。マンション建設で、道潅山通りに移転していった。

いま分かったことは、回転ずしなどと同様にして、若い経営者のアイデアで大当たりをする。
と、毎日毎日大きな利益が出て、それをどんどん拡大していける資本獲得に成功をする。
それを元手に業容を急拡大できる市場が成立しているのだなと。

同時に、かって一世を風靡した札幌ラーメン系のモヤシ味のラーメン店が、競争に負けてまさにひっそりと店を閉じざるを得ない。

そういう私も、この閉じたお店の味にしがみついて、残った上野御徒町の本店に月に一度は食しに行っている。
近所の同じ趣旨で顔を合わせていた方々と良く出くわす始末だ。

この「道坂、道潅山下」は、老舗の店は少ないが、不忍通り添いに14階建てのマンション群が、道路の両側に壁の如く蝟集してしまった。
ここには結構若いサラリ−マン家庭が増えたようで、その方々の憩いの場の一つがラーメン店舗なのかもしれない。
戦争中に焼け残っとところの多い「千駄木・根岸」地区とは、そこが若干違うところかもしれないと思う。

なお、近在の小学校は生徒の減少で廃坑の話題尾が出ていたが、最近は様変わりで廃校の話はとっくに消えたと聞いている。

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 20151111

創業46年。札幌ラーメン「えぞ菊」に今日も行った。
御徒町駅に近いJRガード下で、頑固に経営を続けてくれている。
東京で一世を風靡した「札幌ラーメン」の、まさに生き残り。
確かに40年も前に東京で「札幌ラーメン」がはやりだしたときの、あの食感に衝撃を受けた一人。
トンコツなどとは一線を画した、まさにモヤシ味のラーメン。いくら食べてもあきない。
食後の清爽感は、今はやりの有名ラーメンとはまるで違う。
年を取ったせいか、豚骨系のラーメンは一度食すると、ギトギトした感じがあって、しばらく胃が受け付けなくなる感覚。
札幌ラーメンはそれがまったくない。

支店はかって、動坂下と早稲田と2つあったが、動坂下が競争にまけて閉鎖

現在は2店で経営。何とかこの店は今後とも継続して「札幌ラーメン」の食感を残していってもらいたいものだ。

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創 ~ 十 六 年 、 
れ 性 曝 飛 ョ : メ ン

 コメント

○荒尾稔  現在はガード下の耐震工事中で、ガードの反対側で、この秋まで仮営業中です。工事が終了次第、元の場所に戻るそうです。