●▲新海 多古町ファーム

2016829

20:49

 

2016528

 

何人かの不耕起栽培に関係しているメンバーとともに、千葉県香取市多古町の耕作放棄されている水田の復活再生を目指して協力をしてきました。

もともと、不耕起栽培の熟練農家であった農家の方と、
顧問先の農事法人の社長が多古町からの初年度3ha、最終的には100haレベルまでの水田耕作のことで相談を受けての話です。

主体は、あくまでも農業法人としての投資行動計画としての側面があり、水田稲作の復活と、多古町のコシヒカリという有名ブランド米復活が中心テーマです。

長期的には、多古町の1,100haの水田のうちで、100haほどを対象とした大規模化した”草の出ない””半不耕起方式””フルボ酸等を活用した
無肥料無農薬に限りなく近い
しかもローコスト”で耕作した水田稲作の場を意図していると聞いております。

でも、その方も、この現場では悪戦苦闘の連続で、トラクタが3度も落ちて、引き上げに苦労した。
結果としてこの箇所は、水田に必須の耕盤が実質的にない、トラクタ等が水田に入れない状況の場所を提示され預かってしまったということが分かった事にある。結果として本年度の耕作は最終的に取りやめることとなった。

対策として、事業を進める上で、地権者側の合意を必要とする話し合いが成功しなければなりません。
そしてこれから2年がかりで、独自の方式による圃場整備を行うための準備を行わなければならないこともあって。
圃場整備工事費をどのように調達するかを含めて、これからの課題です。

その準備ができたとして、まず圃場整備と並行する工事課題として、斜面林の一番手前の水田部分を整備し、
井戸を掘って水を確保し、そこに大きな一種の大きなプールを形成する計画があります。

勿論これは不耕起栽培用に年間を通じた水資源の安定的な確保と、稲の栽培に欠かせない水温を温めるなど管理が主な目的です。

鮭の遡上計画もその農家の方のプランとしてであり、一緒に栗山川の源流部から河口まで何度にも分けて、調査に行った経過の上での話であります。

私たちもその応援隊として、現場仕事は何もできない代わりに各種の相談に乗りながら一緒に考えてきていることです。

鮭の遡上計画はその方の人生観から吐出している深い思いがあってのことと理解している。
15年以上もの付き合いだからわかる。

結果として、米づくりのシーズンオフに鮭の産卵場としての利用があります。 
ここ多古町地域では大昔から栗山川では鮭を祀る神社である山倉大神宮(香取市山倉)まで鮭が鮭が遡上しており、
今でも栗山川支流の常磐川では、11月から12月にかけて鮭の姿が見られ、少数の鮭が多古町を含む上流部の砂場で産卵をしてきています。

現在は河川工事の影響もあってか、いろいろな理由で多くの鮭が栗山川の最上層部まで遡上して産卵できないままに終わっているという。

その事を知っている方々が、何とかそのような場所を多古町内に作り上げたいという熱意をもって関わられている。

この場所は多古町の道の駅の上流部数キロのところであり、斜面林の手前である。
鮭は産卵に適正な水と感じると、それを伝ってどこまでも入ってくる傾向がある。
そこへ、秋になって太平洋から栗山川を遡上してくる鮭を、ここの地点で、まっすぐ用水路を整備して、産卵場へ誘導して行く計画。

でも、その流れが生物多様性にとっても正しい方法と私ども確信しており、事業自体が前進していけるのであれば、積極的に応援していく次第です。

市民農園方式の水田も確保し、生物多様性を組み込んだ、
コウノトリやガン類・ハクチョウ類の越冬採餌地としての可能性をも追及していきたいと考えます。
でも、あくまで事業としての成功を期しており、それが優先されます。

これから市民農園としての側面を具体的に提案していきたいと準備を進めているところでもあります。
このような構想を私どもなりに案として計画しているわけであります。

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2016528

 

○荒尾稔 たしかにレンコンの話も出ていた時期があります。
でも、この一角だけが耕盤がないということが分かりました。
ここの100haは、見て歩いた限りでは、いままでの国の力もあってしっかりと圃場整備がされています。
課題はそのような箇所でも至る所の水田が虫食いの状態で、耕作放棄されているということです。平均年齢73歳では、耕作継続はそれは無理の様です。

 実は、昨年から浮島など周辺部のレンコン畑を歩いています。
目的が鮭の遡上など生態系の復元維持ということでし たら、何もコメ作にこだわる必要はないのではと思います。
この記事だけで詳しいことはわかりませんので、失礼かも知れませんが、民俗的な多種多様な生業の復元ということも視野に入れられてはと、勝手に思った次第です。
6月25日頃にも貴地を訪れる予定です。もし、よろしければお話だけでもお聞かせいただけるとありがたいですが・・・

○荒尾稔 大変恐縮ですが、一部内容に不適切な部分があり、文書の配列を含めて内容を更新させていいただきました。謹んでお詫び申し上げます。

○荒尾稔 近年、栗山川の支流で多古町の常磐川では、栗山川から常磐川へ設置した遡上道により、少数の鮭が上流の鮭の神社である山倉神社に方向へ遡上し産卵もしているということです。
多古町役場のHPで公開されている写真です。

荒尾 稔さんの写真

 

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2016528

 

 

本年4月2日に、このfacebookで紹介をさせたいただきました箇所の、その後の経過をお話させていただきます。

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201642

 

千葉県香取郡多古町の水田地帯で、過去1年間耕作が放棄された箇所の水田を、今回地域行政からの再度復活してほしいとの要望があって、ある企業が中心となて、半不耕起栽培によってのコシヒカリを含む稲作を再開する準備が始まっています。

この箇所は、昨年度1年間放置されただけで、相当な荒れ方です。
2年放置されたら取り返しがつかないからとあって、そのうちの一部3ha程度を、取敢えず耕作を再開するということで取組むそうです。

前提としては、改めて耕作コストを下げて、かつ水田稲作の現場でも、生物多様性保全を担保できるのかの試験という意味合いを持たせています。

1枚の水田を1ha単位以上に拡大します。
同時に抑草技術と、海洋性の液肥と、そして植物由来の農業・土壌改良用フルボ酸(キレートイオン)を積極的に使っての栽培を計画されています。
田植え後は原則水田に入ることはないという原則。そして米ぬか投入以外、市販の肥料や農薬は使わないという栽培方法です。

安定的に栽培コストを大きく低減でき、栽培した稲は米の旨みを十分あるものということが、連続して3期以上(初年度から3年目まで)の到達目標となっています。
それを検証しながら、将来は段階的にさらに大規模な面積への拡大も計画されています。

もともとこの箇所での栽培米は、かって日本一のコシヒカリとされた時期もあって、千葉県でも著名なブランド米を生みだしてきた箇所でもあります。

いま、栽培箇所横を流れる栗山川には、この春も大量の鮭の稚魚が放流され、毎年その鮭の遡上数も増えています。

栗山川の中流域には、10年ほど前から数年間コハクチョウが200羽単位で越冬をしていたこともあり、
私も、関東地方での大規模なガン類の大規模越冬地化の候補地域としても大いに期待をかけている箇所でもあります。

この地域には、過去15年以上継続的に訪問をしてきています。ここはガン類の越冬地としては最適な環境を形成しています。

あとは、走りながら考えていくことになると思いますが、仮に対象とするガン類はシジュウカラガン、白鳥はコハクチョウだと勝手に思い込んで、関係者に話をしています。

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201658

 

栗山川の鮭の遡上する道の探索-上流部です。

多古町の「道の駅」から上流へ、広大な100haもの単位で、栗山川の両岸iに広がる水田には、満々とした川からの豊富な水が供給されています。
しかもそれは上流域にさかのぼっても変わりません。
高度が上がるごとに、50cm~80cm前後の高さで段を形成し、その前後では、渦を巻き、小さくとも迫力ある滝のような姿も形成していました。

最後には香取郡佐原地区に入って、突然の源流部になりました。
ここで2またに分かれ、左の幅は広くても細々とした本流がまだまだ上流域を目指しています。

右側の流れはまさに本流となっていて、これは利根川本流から佐原の揚水機場からの用水が、栗山川に流入していたわけです。

つまり源流部は利根川からの導水路として始まっていることが確認できました。

ある面で興ざめなところも感じたのも事実です。なお、現在はここまで鮭が結構上がってきているという話でした。

そして、毎年ここまで遡上してくるウナギを取りに入り込んだ少年たちが川に墜ちて行方知れずになる事故が起こっているそうです。
事故の関係者からは用水機場の水を止めてくれと言われても、最低3日間。
さらに水田稲作農家の方々への対応などで、それはまずできないということだそうです。導水路として機能優先だそうです。

上流部に至る道筋では、耕作放棄された水田がとても多く、勿体ないと強く感じました。
この導水事業に関わって、難工事であり、完成までに時間が掛かりすぎたがために、工費が大きく暴騰し、その支払いがかさんだ為に、農家には負担金+水道料の負担がきびしく、中にはそれが稲作による総収入を上回るような箇所も出来てしまって、地区の責任者の息子が、耕作を放棄した水田を啼きの涙で引きうけたという話まで聞かされたことがあります。
まさにここ総武用水のことでした。

その後の時間経過の中で、農家の方々の老齢化も、後継者不在もあって近年は放棄せざるをえない背景があるという話でした。
上流域には大きな、耕作放棄水田が多いとは聞いていましたが、想像以上でした。

機場はひとつを除いてフル稼働中で、水田用、畑作用と取り入れ口から先端まで別のラインであるという話と、内房の市原までもがここから取水しているのだという話でした。

取水は毎年4月から9月初めまでに限定され、鮭が遡上する11月12月は、導水が止まっていて、本流への絞り水だけとなります。

よく聞くと、現在は鮭も源流域まで遡上する個体も多いそうですが、昔から遡上していた鮭は、今回の上流域への出発点である、多古町の常盤川へ遡上することが多いと聞きました。

今後はその箇所に調査になります。

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201654

 

かって栗山川では、鮭はどのような箇所で産卵をしているのかという疑問が消えません。
ただ、可能性として利根川を遡上している大量の鮭の産卵行動の一環を教えられる事例があります。

かって2003年から2004年にかけて、大雨が続き、利根川でも、印旛沼へ通じる水門より水位が高くなった結果、利根川を遡上する鮭が印旛沼方面に鮭が流入して殺到する事態がありました。

その折に、利根川から将覧川を遡上し、当時印旛郡の栄町四谷地区の新海秀次さんが耕作をしている「冬期湛水不耕起栽培田んぼ」周辺の用水にまで多数の鮭が遡上してきた事件がありました。

その後春までに 写真ごとく多数の斃死体が春までに発見されています。

ここの用水は、その後干上がってしまいました。
しかし真冬に水田に水を張ってあった結果として、その温かい真水が利根川まで流れていき、その水にひかれた鮭が、遡ってきたのだろうと新海秀次さんは確信していました。この周辺はすべて底が砂地であり、産卵にも適していたのだとも言われています。(鮭の写真は2004年3月8日 荒尾稔撮影)。用水の現場、そしてここ持田んぼには当時コハクチョウの大群が定着していました。

この事例も、栗山川における鮭の産卵に関しての参考事例だと考えられます。

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201654

 

千葉県の九十九里に流入する一級河川である栗山川。
大昔から栗山川には鮭が遡上していました。
上流域にある山倉神社はまさに鮭を神様に奉納する神社として著名でした。

山倉大神は鮭神社とも呼ばれる神社だ。
毎年12月7日に開催される鮭祭には、栗山川のサケが奉納される。昔からサケの黒焼きを「災いをサケる」として護符にし、風邪にも効くと言い伝えられてきた。

しかし近年は、山倉神社までの遡上が途絶えていたと聞いていました。
丁度今から10年ほど前から、この鮭の遡上を実現させようとして、多古町の所英亮さんを中心にして、遡上を実現するための改築を促進する運動が強まり、現在はそれが実現したと聞いています。

河口近くでは、現在も毎年、相当数の鮭を捕獲して、稚魚を毎年欠かさず放流をしています。

その記念碑もありました。
S55年に25匹、56年以降は172、57、770、331、497、そして昭和61年(1986)には念願の1500匹を超えました。
との記録が書き込まれていました。

今でも着実に横芝地区から、稚魚を育てて放流する事業を継続している。

今回、栗山川の鮭のより多くの遡上を実現させるための現状を確認する調査を行っていきます。
まず横芝の海浜から上流域へ遡り、鮭の稚魚の育成を行っている現場を含めて遡り、多古町の道の駅まで行きました。

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201654

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千葉県印旛郡栄町の利根川沿いの水田で、中型シギの代表格、チュウシャクシギの22羽の群れと、チドリ類の代表格ムナグロの34羽の群れに遭遇した。

この2種類とも、この5月の連休中に千葉県内の水田地帯を採餌しながらオーストラリアなどの越冬地から、繁殖地のシベリアへの移動途中に、毎年この時期に移動中の群れに遭遇している。

海岸の干潟よりもこの2種類とも内陸部の水田を好んで休息採餌するタイプということで知れている。

でも一つの群れがこの地区で休息と採餌に費やす時間は2,3日と言われており、一時の休息にすぎない。

しかし、この場所で十分なエサ資源を獲得していけないと、次の休息地は東北から北海道、そしてムチャッカになる。十分なエサのある箇所を見出すことが毎年困難になっていると感じている。

1ヶ所の採餌がうまくいかないと、体力不足で、渡りが成功しにくい。
さらに体力がないと繁殖行動で、他地区の群れに競り負けて、繁殖の成功率が落ちる。
日本医渡来するこの系統の渡り鳥は毎年じわじわと減少している原因はそこにもあると感じている。

せめて、千葉県内を移動する先のエサ資源豊富な箇所を早く見出してあげたいと焦ってもいる。

餌になるイトミミズや小さな貝類、カニ類などが乏しくなってしまっているからだ。

今回も、ムナグロの休息採餌する田んぼと、チュウシャクシキの田んぼとは峻別されていた。
それぞれに欲しい餌が違うので、今回も田んぼごとにきれいに分かれていたと思っている。

シギ類やチドリ類とも、種類ごとにそれぞれ最も好む餌が大きく異なっているようだ。

今回、ほかの種類に関しては5月3日に多古町周辺、栄町周辺でも私はまだ観察できていない。

キョジョウシギなど、毎年必ず観察できる種類が発見できなかった。
もう少し別の観察箇所を巡ってみようと思っている。

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コメント

 

●ムナグロは全国区で年々、渡来数が減少しているようです。

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201654

 

千葉県香取郡多古町の一角で行われた「田植えイベント」に参加して手伝ってきました。

参加者は45名ほど、都内から子ど連れの家族を中心に、若い女性が過半数という。
5月3日の連休による道路渋滞で東京からの貸切りバス到着が遅れた。スケジュールは大きく狂ってしまいました。

始まったのが正午頃、おなかのすく時間です。

でも、早速遠慮なく、裸足になって成苗を受け取ると、畦に一列に並んで,即くどんどん田んぼの泥に漬かって、子供たちとわいわい、キャッキャッ。大きく育った成苗を植えていく。
あっという間に2反歩程度が。一応終わりました。

最後は予想通り、苗の塊を田んぼ面iに投げ込んで、しぶきを浴びせるような騒ぎに。
まことに屈託なく、心から遊び心で楽しんでいる、誰も汚れを気にしていないし、真っ黒になった手を嬉しがって見せ合っていました。
子供たちはカエルをたくさん捕まえて、ポリに入れて見せびらかしていました。

田植えの結果は、ご覧の通り。手狩りするか、植え直すかの選択画ありますが、勿論秋になれば参加者に再度集まってもらって、手狩で稲刈りをしていただくことになります。

最後に、イベントですから全員の写真を取って、早々に次に蓮沼海岸でのバーべキユ−をする会場にバスで移動していきました。

小さな台風の到来みたいなキラキラした感じのイベントとなりました。
関係者の皆様も結構楽しんでいましたから、結果は良かったと思います。

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201652

 

 

千葉県香取郡多古町の水田地帯で、過去1年間耕作が放棄された箇所の水田を、今回地域行政からの再度復活してほしいとの要望があって、ある企業が中心となて、半不耕起栽培によってのコシヒカリを含む稲作を再開する準備が始まっています。

この箇所は、昨年度1年間放置されただけで、相当な荒れ方です。
2年放置されたら取り返しがつかないからとあって、そのうちの一部3ha程度を、取敢えず耕作を再開するということで取組むそうです。

前提としては、改めて耕作コストを下げて、かつ水田稲作の現場でも、生物多様性保全を担保できるのかの試験という意味合いを持たせています。

1枚の水田を1ha単位以上に拡大します。
同時に抑草技術と、海洋性の液肥と、そして植物由来の農業・土壌改良用フルボ酸(キレートイオン)を積極的に使っての栽培を計画されています。田植え後は原則水田に入ることはないという原則。そして米ぬか投入以外、市販の肥料や農薬は使わないという栽培方法です。

安定的に栽培コストを大きく低減でき、栽培した稲は米の旨みを十分あるものということが、連続して3期以上(初年度から3年目まで)の到達目標となっています。それを検証しながら、将来は段階的にさらに大規模な面積への拡大も計画されています。

もともとこの箇所での栽培米は、かって日本一のコシヒカリとされた時期もあって、千葉県でも著名なブランド米を生みだしてきた箇所でもあります。

いま、栽培箇所横を流れる栗山川には、この春も大量の鮭の稚魚が放流され、毎年その鮭の遡上数も増えています。

栗山川の中流域には、10年ほど前から数年間コハクチョウが200羽単位で越冬をしていたこともあり、
私も、関東地方での大規模なガン類の大規模越冬地化の候補地域としても大いに期待をかけている箇所でもあります。

この地域には、過去15年以上継続的に訪問をしてきています。ここはガン類の越冬地としては最適な環境を形成しています。

あとは、走りながら考えていくことになると思いますが、仮に対象とするガン類はシジュウカラガン、白鳥はコハクチョウだと
勝手に思い込んで、関係者に話をしています。

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○荒尾稔 尾岱沼までは、今から55年前にオオハクチョウの斃死調査などで出かけたことがあって、
地元猟師の協力をいただき、真冬の春別川河口から野付崎まで氷の先端を伝ってオオハクチョウ調査で
往復した記憶が鮮明です。氷の縁には何羽もの衰弱した幼鳥がいました。帰路その猟師がヒグマの頭骨を掘りだしてくれて、
それを東京みやげに持ち帰った記憶。それは国立科学博物館二に